ポーランド/クラクフ
ポーランドの古都クラクフ。旧き良きヨーロッパ情緒あふれる街なみだ。ドイツ人観光客が多い。旧市街の観光を終えた私は、路地に広げられている絵画や民芸品などを眺めてあるく。
城壁の外にある公園。そこのベンチに腰かけて少しばかり休憩。散歩をしている老夫婦。元気に遊ぶ子供たち。家族連れやアベックの姿も。実にのどかだ。
空手の練習をしている若者が意外と多い。ポーランドでも日本や空手はメジャーな存在なのだろうか。ちょっと興味を持ってしまう。すると、一人の若者が声をかけてきた。
「あなたは日本人ですか?」
「そうだけど、日本のこと知ってるの?」
「もちろん。ちょっとだけ知っています。わたしはカラテをやってますから。日本人はみんなカラテの達人ね。わたしとお手合わせしてもらえますか。ほかにもカラテをやってる友達がいっぱいいます。一番強い人じゃないと相手にならないですか?」
なかなか英語が達者なようだ。彼の後ろには三、四人の若者たち。それぞれに「お手合わせお願いします」というような表情をしている。しかも、みんながみんな、いいガタイ。確かに私もヤワな体つきではない。柔道や剣道ならば少しはかじったこともある。しかし、空手なんかは一度もやったことがないのだ。
冗談じゃない、とは思うものの、彼らはけっこうマジみたい。無視して振り切ることもできるが、それでは面白くない。時間もあることだし、なんとか彼らと楽しみたい。だけど、残念なことに空手はできないのだ。
話をべつの方向にもっていこうとする。でも、ダメみたい。日本人のすべてが空手の達人ではない、と言っても信じる気配すらない。私のすぐ目のまえで型をはじめて挑発してくる。
「きみ、ジュウドウやケンドウって知ってるかい? カラテと同じ日本のブドウなんだよ」
「ジュウドウは知っている。でも、ケンドウは知らない」
「じゃあ、サムライってのは知ってる?」
「あ、知ってるよ。日本のサムライ有名ね。ハラキリ、カタナも知ってるよ」
「そう、そのカタナでやるのがケンドウなんだ。ぼくはサムライだから、カラテじゃなくて、ケンドウをやっているんだ」
「オー、あなたサムライなのね」
「そんなわけで、カラテはできないんだ。もし、カタナがあれば、お手合わせしてもいいけどさ」
彼らは私が空手をできないことに納得してくれたようだ。勿論、刀なんてあるわけないし、もしあったとしても「素手」対「刀」で勝負しようなんて奴もいないだろう。
空手ができないと日本人ではない。こうでなければ嘘だとさえ言いきらせる先入観や固定観念。意外とよく出遇うものだ。そんなステレオタイプな虚像ができあがっているのは問題かもしれない。だけど私は、それを指摘したり正すために旅をしているわけではない。まずは、スムーズにコミュニケートすることが大切なのだ。もし仲良くなって誤解がとければいうことはない。結果的にそうならなくても、それはそれで仕方ないことだろう。
ある場所や物事に対する概念がすでにできあがっている場合、そのイメージに合わせて現実を再構築したほうが真実味をおびてくる。そうしたほうが、本当っぽいし、物事もスムーズに運ぶ。
彼らの場合はそうでもないけれど、警察官や軍人なんかに銃を突き付けられて言われたときには考えものだ。変に真実を主張すると「こいつは日本人のパスポートを持っているが怪しい」などと疑われかねない。さらに余計な問題まで発生させてしまう危険性があるのだ。
警察官や軍人に「パスポートを見せろ」と不意に言われることも現実には少なくない。「パスポートはセーフティーボックスに!」なんて言う人もいるが、とんでもない話である。パスポートを携帯するのは海外旅行者の義務だし、それしか自分を証明できるものはないのだから。国境の係官から「空手できるか? 型をみせてくれ」なんて言われることも、実際にはちゃんとあるのだ。
いま私は、でっちあげたハッタリをかますことで彼らを説得してしまった。日常生活でも嘘をついて状況を切り抜けることもたまにある。相手もつじつまが合う嘘を期待する場合も多い。それでお互いにスムーズにいく場合などがそうだろう。
旅行中に例えるならば、ビザ発給や出入国の書類なんかがそうだ。重要な項目では嘘はつけないけれど、滞在期間や宿泊先は適当にでっちあげることもある。そこで「宿泊先は未定」などというと問題になるからだ。相手もそんな些細なことで時間を費やされるのは困るだろう。
そうこうしているうちに、空手青年たちと打ち解けて話はじめる。逆に私が、その若者たちから空手の型を教えてもらう。けっこう話もはずんで彼らの奢りで晩餐をすることになる。
ポーランドの若者もビール好きだ。名も知らぬポーランド料理とでかいジョッキ。それを片手に場はどんどん盛り上がっていく。女の娘がいないのがちょっと残念。
「ね、きみたち。これからは、ポーランドの美しい女性たちにも、カラテを普及させなきゃね」
「でも、女の子がカラテの達人になると、わたしたちちょっと困るよ」
やっぱりどこの国でもそんなものなのだろうか。それにしても、男同士のざっくばらんな話に、女性はかえって邪魔なのかもしれない。だって男というものは、女性がいればどうしてもそっちのほうに気をとられてしまうから。
「本当の話、日本人のみんながみんな、空手をやっているわけじゃないんだよ」
とりあえず、そんな感じの説明もしておく。けれど、ほとんど解ってはくれなかったようだ。でもまあ、それでいいのかもしれない。やはり私は、ただの旅人にすぎないのだから。
〜 ステレオタイプとコミュニケーション おわり 〜