〜W体験記★シェレメチボの情景〜

 『旅のはじめはエアポート』

ロシア/モスクワ

 モスクワの玄関口、シェレメチボ空港。殺風景なイミグレはあっけなく通過。すると突然、なぜなのか係官から呼び止められる。その係官の手には赤いパスポート。違う、私のものではない。
「これは、いま通った日本人グループのパスポートだ。忘れて置いていった。持っていって渡してくれ」
「ぼくは独りで、同じグループではないから……」
 そんな返事をしても無駄なだけ。さっさと押しつけられてしまう。

 それにしても、いきなりパスポートを忘れるドジなやつ。いい迷惑だ。
「このパスポートはブラックマーケットではいくらになるのかな?」なんて、ふざけたことを考えつつも、親切に届けてあげる。
 パスポートがないって騒いでいそうなものだけど、そんな気配などない。私も先を急いでいる身。探す手間をはぶくため、グループの添乗員らしき女性へ声をかける。

「えーっ、パスポートなんて忘れてたんですかぁ。あっそれ、うちのグループの人のです。申し訳ないです。すいません、ありがとうございます」
 べつに添乗員さんに謝られる筋合いはない。けれど、なかなか丁寧な人だから気持ちはいい。
「ま、添乗員さんも色々と大変ですね」と、ニヤリ。彼女も苦笑を返す。

 彼女はパスポートを忘れた人を見つけ出して注意。その男性が私のほうを見てペコリとお辞儀をする。全く気づいてはいなかったようだ。
 この時、これからずっと日本人にお目にかかれない、とは知る由もなかった。このさき六ヶ国を旅するあいだに出会った日本人はゼロ。つぎに日本人と巡り会うのは、七ヶ国目ドイツのベルリンだったのである。

 それから、すぐに二千円ほど両替。なんと、円は両替できないっていうではないか。だけど、こんなところで時間を潰しているわけにもいかない。20ドルを両替して早々にその場を立ち去る。

 屋外へ出ると、タクシーの客引き。
「どこまで行くの。安いよ。タクシー乗らない?」
「あっ、ぼくはバスと地下鉄で行くから、必要ないね。そうそう、バス停って、どこにあんの?」
「バスは向こうだけど、いまの時間にバスはないよ。最終はもう終わったから。だから、タクシーに乗るね。OK?」
「あっそう、どうもありがと。もし本当にバスがなかったら、タクシーのことも考えてみるからさ。じゃあね、バイバイ」

 バス発着所へ行ってみると、そこそこの人がいる。しかし、みんな英語は話せない。あれやこれやと訊きまわり、自分が乗りたいバスを確かめる。どうやら、まだまだあるらしい。
 切符の買い方がわからないでいると、親切なおばさんが譲ってくれる。
 バスへと乗り込む。凄い混みようだ。ザックが邪魔で乗るのに少しばかり苦労する。郊外のだだっ広い道。いろんな人々を乗せながら、バスはひた走る。途中で地下鉄に乗り換えれば、市街へ入れるはずだ。
 黄昏のモスクワ。旅の期待と不安を抱いて、私は流れる風景に見入っていた。

  〜 旅のはじめはエアポート おわり 〜


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