〜W体験記★ティカルへの道(サンペドロ河を逆上って)〜

 『四年前の誓い』

メキシコ〜グァテマラ

「マニャーナ、オチョ……」
 えーっ、オチョぉ? 人をおちょくってるのか。なんてこったい。舟の定期便は明朝八時までないってか。こんなところで足止めをくらうとは、やはり甘かった。
 メキシコ南部はチアパス州(タバスコ州)の片田舎、サンペドロ河の沿いのラパルマという宿一つないとても小さな集落。早朝、パレンケを後にした私は、サパタ、テノシケと、コレクティーボやバスを乗り継ぎ、ダート道をひた走り、昼前にこの村へと辿り着いた。サンペドロ河を逆上り、グァテマラへと国境越え、ティカル遺跡を目指すためだ。

 四年前、パナマからグァテマラまでの中米を旅した私は、時間の都合と今後の旅行をにらみ、ティカルを観てからベリーズを旅してメキシコへ抜けるルートを断念。グァテマラを北上せずに南下してパナハッチェルへ向かった。そのとき、いつか再びグァテマラの地を訪ねてこのルートを旅してやる、と、美しいアティトラン湖へ誓った。それを果たすためにやってきたのだ。
 あの時でも、無理をすれば、先述のルートはなんとか突破できただろう。だが、いま移動しているパレンケからティカルまでのルートも旅してみたかった。そんな思惑もあって、ティカルからベリーズを抜けてのメキシコまでの道のりも、次の旅へと託したのだった。
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「そこの食堂のハンモックなら20ペソ(約300円)で泊まっていいよ」
 船着場のおやじは、そんなことまでのたまう。ハンモックにしては高い気もするが、交渉などしている場合じゃない。とにかく、こんなところで丸一日ちかくも時間を潰すわけにはいかない。移動手段を探さねば……。それにここなら、いざとなれば、そこらで野宿してもなんら問題はないだろう。
 幸いたくさんの船着場や舟がある。素早い行動は幸運をまねく。直ぐさまザックを抱え、河岸を歩きまわって舟主らしき人へ声をかけて歩く。と、目指すグァテマラの村エルナランホまで国境を越える舟を出すというでは……。グッドタイミング。いろいろと交渉して、相場の料金で一緒に乗せてもらうことになる。二時まえに出発って話だ。

 休みなく駆けずりまわったから、汗だくで喉も乾いた。食堂でビールを頼んで木陰で一休み。強烈な暑さだが、日陰は涼しい。少し英語のできる先生としばらく話し込む。それから、のんびり村を散策。丘にものぼってみる。ゆったりと流れるサンペドロ河、パイプで造られた橋。馬や七面鳥。戯れる子供たち。ハンモックに揺られる女の娘。情緒ある素朴な集落、ひなびた田舎の風景。なんとなく落ちつける場所だ。
 河で泳いだり遊んだりしている青年たち。この凄まじいまでの猛暑。見ていた私も、思わず服を脱ぎ捨て飛び込んでしまう。

 一時すぎに舟へ戻ると、ビールやら雑貨やらたくさんの荷物を小さな舟に積み込んでいる。
「なにか買っておかないのか? 飲み物はクーラボックスに入れといてやる」
 そんなことを身振り手振りで伝えてくれるが、移動中には充分な食料や飲み物を確保しているから大丈夫。私のために、板を渡して座る場所を作ってから出発。おっさん二人におばさん一人、それに私と多量の荷物。私以外は舟縁に座る恰好だ。

 雲一つない快晴。波もなく穏やかな河を快調に進む。日差しはきついが風はさわやか。気分も最高だ。
 木の少ない牧草の風景が湿地帯へと変化していく。ボートが走る風のおかげで暑さはそれほど感じないが、凄まじい日差しのせいで肌がじりじりと焦げるように痛い。定期船と違って屋根もないから、もろに日差しを浴びてしまう。長シャツを羽織って防護。この長時間の移動中ずっと肌をさらしていると、きっと火傷してしまうだろう。勿論、スコールなんかに遇えばシャレにもならない。
 こげ茶色というか半透明でセピア色の綺麗な水。ジャングル系の地域ではよく見かけるそれだ。魚も飛び跳ねる。様々な鳥の姿、その鳴き声が辺りに響く。

 すでに鬱蒼とした木々のジャングルっぽい風景に変わっている。蛇行する細い水路、両側にはぎっしりと木々が迫る。途中の村へ寄って荷物を積み込む。河辺で釣りをする人、魚影も濃いようだ。
 迷路のような支流を進み、瀬を越えながら逆上る。まさにジャングルクルーズといった趣だ。ただの移動だけれど、メコン河やザンベジ河下りよりも楽しめる。

 しばらく経つと川幅も広くなりゆったりクルーズ。金持ちそうな欧米人を乗せて、ぶっとばすモータボートとすれ違う。たぶんチャータしたのだろう。
 舟のおっさんたちは運転を交代しながら、積み込んだビールで大宴会。おばさんから、ビスケットをもらう。私が機内から持ってきたレモンティーを飲んでいると、味見したい、というので手渡す。なんだか随分気に入ったみたいで、ビールと交換してくれという。それも940mlの大瓶。得した気分だ。
「どこで買った? メキシコでは見かけないものだ」
 そんなこと言って、みんなでまわし飲み。メキシコ人はレモンが好きだから、けっこう受けるのかもしれない。

 左手に国旗を掲げた建物。イミグレのオフィスだ。舟を岸に着け、簡単な出国手続き。湿地の畦道を奥へ歩くと集落もある。ここがエルマティーヨだろうか。
 徐々に日差しが弱まるなか、再び舟を出す。ヤシ、マングローブに似た木々、また熱帯っぽい雰囲気になる。
 もう一度途中で集落へ寄って、今度は積み荷を売りさばく。ペソとケツァルが入り交じっての取引。入国手続きをしていないし、言語も変わらない、風景が一変するわけでもないから、それほど実感もないけれど、ここはもうグァテマラだ。
 ついでに舟のおっさんに両替してもらう。相場が掴めていないから、少ししか替えなかったけれど、惜しいことにこのおっさんのレートが一番良かった。

 落陽を右手にとらえながら、ボートは進む。真っ紅に染まる夕焼け、ジャングルの木々がシルエットとなって浮かびあがる。なんともいえない美しい光景。暗くなるまで、ぼーっと眺めつづける。

 日も暮れたころ、エルナランホへ到着。食堂の一部がイミグレとなっていて、すぐに入国手続き。周囲の人にバスの時刻も確かめる。意外に便は多いらしい。一時、三時、十時……、みんな同じ時刻を言っているので信憑性も高い。直近のバスで即出発。といっても、深夜一時発、まだまだ時間がある。
「何時のバスに乗るんだ? 宿に泊まらないか?」
 食堂兼宿の客引きから声がかかる。一時までなら半額でいいからどうだ、と誘うけれど、眠っている時間もそれほどないのでやめる。
 向かいにあった河辺へ張り出した店で食事。夜遅くなって、大勢のおっさんや若者が集まってくる。段々と賑わって、ラテン音楽もガンガン鳴らしはじめる。ぼろコテージ風の店だけど、居酒屋やディスコも兼ねた食堂なのかも。

 ベランダっぽいところにハンモックが吊るしてあったので、勝手に使ってごろごろ時間を潰す。
 それにしても蒸し暑い。しかもここの蚊がまたすごい。虫除けスプレーで防御するが、あまり効き目はない。アフリカや南米を旅しても感じるけれど、日本の防虫スプレーはむかつくほど効かない。虫がたくましいのか、日本のものは日本でしか役に立たないのか。ちゃんとほかの地域でも検証をやっているのか疑わしいものだ。まあその土地で調達するのが、やはりベターなのだろう。
 河を見おろせば、畔を飛び交う無数の蛍。とても綺麗。少しは気もまぎれる。

 夜も更け、バスが停まると教えてもらった地点にほど近い食堂へ移動。といっても、すでに店は閉ざされ、真っ暗となって誰もいない状態だ。さっきの若者たちはまだ騒いでいるようで、その声が暗闇にこだまする。
 そんななか一人、店の椅子に腰掛けてうとうと。すると、彼方からバスのエンジン音が耳に飛び込む。時計をみればぴったり一時、その正確さに驚く。ゆっくりと立ち上がって道へ出る。まだ停まっていないバスに近づけば、フローレス、と助手が小さな声を発する。が、一瞬停止しただけですぐに走りはじめる。ぼやぼやしていたら置いてけぼりをくらうところだ。

 ボロいけれど、けっこう大きなバス。かなりの人が乗っている。星空とジャングル以外はなにもないガタゴト道をひた走る。それなりの衝撃。アフリカやアジアの僻地に比べれば大したこともないけれど、快適なメキシコと比較するならば、そう表現しても過言ではない。
 ヘッドライトと月明かりに照らされて、かすかに見て取れる鬱蒼とした木々。たまに土壁の家々の村へ停車。夜中にも関わらず、そこそこの人が乗ってくる。鮮やかなウイピル姿の女性たちも……。とても懐かしい気分。この道、このバス、この人々、グァテマラっぽさを思い起こさせてくれる。

 深い紺碧の空に薄っすらとしたオレンジ色の帯。まるで私の新しい旅を祝福するかのような夜明け。街もだいぶ近づいているのだろう。もう身動きできないほどぎっしりで混沌とした車内。バスの振動、人の鼓動、肌で味わう全感覚、旅を実感できるひとときだ。
 よし、サンタエレーナ(フローレス)へ着いたら、このまま一気にティカルを目指そう。そこそこ疲れているのかもしれないが、そんなことなど微塵も感じない。念願だったサンペドロ河ルートを旅しての四年越しのティカル。どんなふうに私を迎え、どんな表情を見せてくれるのだろうか。できることなら、期待を裏切らないでほしい。はやる気持ち、高揚した気分、わくわくしてしまう。確かに、この道の向こうでは、ティカルが私を呼んでいる。四年前のあの日から、ずっと……。

  〜 四年前の誓い おわり 〜



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