〜W体験記★バラック街をさまよって〜

 『旅人の存在』

ニカラグア/マナグア

 大通りへ出る。道路脇や交差点には物売りの子供たち。信号で車が停まると、我先に、と駆け寄る。そして、新聞、駄菓子、タバコなんかを売りあるく。車のボンネットへ飛び乗って、窓ふきをしている子もいる。不思議と懐かしさが込み上げてくる。アジアっぽくも感じられる。
 物貰いの子もすこし。痩せ細った子供が、今にも死にそうな赤ん坊を抱きかかえてさまよっている。

 L.A.ベラスケス公園の西側に広がる一帯。初めて遠くから眼にしたとき、廃墟のように観えてしまう。地震と内戦のせいだろうか。だだっ広い荒涼とした風景。倒壊した建造物。バラックみたいな建物が並ぶ。焼け跡のような黒く焦げた場所などもある。
 そのなかへと足を踏み入れる。すると印象が一変してしまう。洗濯する女性たち、こちらを向いてチラっと微笑む。子供たちは戯れ、興味深げに寄ってくる。大人たちは木陰に集まって雑談。珍しいのだろうか、手招きして呼ばれる。裕福そうではないけれど、じつにのどかだ。人々が確かに生活している。みんなの眼も活き活きとしている。

 崩れ堕ちたカテドラル。かろうじてその姿を留めているにすぎない。破壊された内部、天井部分はない。三階あたりまで登ってみる。
 瓦礫からなる吹きっさらしの屋上にたたずみ、マナグアの街を見渡す。殺伐とした光景、荒廃しているようにも映る。風が通り抜けていく。熱風のはずなのに冷たさを感じてしまう。真新しい数個の高層ビル。それらとのコントラストが余計にそう感じさせるのかもしれない。

 カテドラル裏から東側に広がる一帯をさまよう。見るからに粗末な建物。一見するとスラムっぽい雰囲気も漂っている。しかし、崩れかかった建物が密集しているわけではない。それぞれ、独立した小さな家々。一応、水道や庭らしきスペースまである。なぜかしら、アジアの貧しい家々って印象を受けてしまう。
 女性たちは家の前で洗濯。庭や鉄柵には沢山の洗濯物が揺れている。どの家にも子供がいっぱい。子供たちは水浴びをして暑さをしのいでいる。大人たちまで。ハンモックで遊ぶ子供。木陰で揺られている大人もいる。仕事は?、なんて常識的な考えが浮かぶ。大人も子供も気さくで陽気な人ばかり。気軽に写真も撮らせてくれる。
 寺子屋のような小さな学校。少し大きな家に、大勢の子供たちが集まって勉学にいそしむ。邪魔をすると悪いので遠くから眺める。すると、先生らしき人が手招き。やや遠慮しながらも部屋のなかへ……。さっきより増して、ワイワイガヤガヤ。みんなとても元気だ。カメラに対しても争うように応えてくれる。
 道端では少年たちが野球。小さな雑貨屋もある。なぜかここには犬が多い。歩いているとよく時刻を訊かれる。腕時計をしているせいだろう。ここの人は持っていないのか、そういう習慣がないのかはわからない。

 鉄柵に囲まれたトタン屋根の見すぼらしい家々。とても裕福には見えない。だけど、貧困の人たちが暮らす地区かどうかは知る由もない。よそ者が立ち入っている気配はない。すこし緊張しながらも、どんどん奥のほうへと進んでいく。すると突然、「チノ(中国人)」と呼ばれて罵られる。ちょっとムカッとするが、お互いにそのまま擦れ違う。ここへ踏み込んだのは間違いだったのだろうか。
 自分でもはっきりとは認識していない。だけど、旅先で自らを動かすものは、やはり単なる好奇心かもしれない。それでもとにかく、「虎穴に入らずんば……」の世界ではある。大切なのは行動して感じることだ。あまりムチャをして虎に喰われてしまったら元も子もない。その辺りの見極めは難しい。だから、一概には言えない。一歩踏み込むかどうかの判断は、全身で感じるしかないわけだ。ただ、やらずに後悔するよりも、やって後悔するほうを選ぶ。

 また、「チノ」と呼ばれ、時刻を訊かれる。でも、なかなか感じが良くて優しそうな女性。取り合えず「日本人だよ」と、ことわりを入れて、時計を見せてあげる。
「どうもありがとう。日本人だったのね。ごめんなさい」
 意外なセリフが返ってくる。スペイン語はまるでダメな私でも、これくらいのフレーズならば、雰囲気ですぐに理解できるのだ。彼女は薄汚れたきたない恰好をしている。その腕には乳飲み子。胸の部分が自らのオッパイの雫で濡れている。艶のある薄茶色の肌、奇麗な黒髪。それなりの恰好をすれば、きっと美しいに違いない。
 身振り手振りでしばらく立ち話。三人の子供がいるらしい。年令はまだ二十八歳。私よりも若い。確かに、可愛い系の顔をしていて若くは見える。でも元々、女性の年令はわかりにくいもの。ましてや見すぼらしい恰好の外人さんならば尚更だ。まあ、化粧をしていないので少しはわかりやすい。この地区にいる女性たちは、貧しいからか?、習慣なのか?、化粧をしている人は見かけない。白人系の人たちの姿もほとんど見当たらない。
 気に入られちゃったのだろうか。「ここでは暑くて大変だから」といった感じで、すぐ側の彼女の家へ誘われる。確かに、この直射日光と気温では熱射病にでもなってしまいそうだ。慣れている彼女やタフな私ならばまだいいが、赤ちゃんは堪らないだろう。優しい眼をした彼女の言葉に甘えて、遠慮なくお邪魔することに。しかし、旅の習性からか、警戒心は完全にはとけていない。
 家ではおばあちゃんが洗濯をしている。庭で遊んでいる二人の子供。少しためらっただけで、すぐに寄ってきて一緒に遊ぶ。みんなから、「写真を撮って!」なんて、せがまれる。屋外へ出て、吊るされているハンモックでのんびり。彼女や子供たちと楽しいひとときを過ごす。やっぱりここへ来てよかった、と改めて実感する。いろいろと無礼なこともあるかもしれない。が、それは勝手の知らない異国の旅人ってことで許してもらえると思う。

 街には地震や内戦の傷痕も見られる。でも、ここの人達からは感じられない。私の眼には貧しそうに映ってしまうこの生活。こんな暮らしでも満たされているのかも。物質的には恵まれていないようにも思える。けれど、少なくとも時間的には私よりも恵まれている。所詮は相対と価値観の問題なのだろう。
 ここで暮らす人たちの屈託のない笑顔。きっと心は豊かなのだろう。みんな幸せなのかもしれない。幸せは手に入れるものではなくて、感じるものだから。しかし、ひょっとして裏側の部分が存在するのかも。それを隠しているだけかもしれない。でも、それならばそれでいいと思う。
 私は単なる旅人。本当は彼らの心を理解する必要はないのかも。それを云々することさえ、してはならないのかも。だから、敢えて心の奥を探ることもない。変な詮索や思考はしないで、ありのままを観て受け入れるのが良いのだろう。
 旅人は風のように流れ、戯れ、そして立ち去る。残すのは想い出だけで充分なのかも。妙な面白い日本人が訪ねてきたって感じで……。

  〜 旅人の存在 おわり 〜


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