〜W体験記★ある世界旅行者との出会い〜

 『捨てて旅立つ』

トルコ/アンカラ

 トルコの首都アンカラ。このとき私は、ロシア、バルト三国、東欧諸国と鉄道で旅をしてトルコへ訪れていた。
 宿の近くにあるローマ浴場跡を見学。そんなに大した遺跡ではない。そこで、ある旅人と出会う。四十三歳という話だけれど、実際にはもっと若く見える。遺跡の柱に腰かけて少しばかり話し込む。

 彼は約四年ほど旅を続けている。世界をすべてまわるつもり、それが夢らしい。ヨーロッパから入って欧州をくまなく巡り、北アフリカへ抜けてアフリカ大陸を一周り。その後、中東諸国を北上してトルコへ辿り着いた、という話。ここまでで三年九ヶ月もかかっている。
 これからアジアへと入る予定。世界を大雑把に巡るだけでも十年はかかるだろう、と言っている。連続した世界の旅をヨーロッパから始めるのは、けっこう珍しい。

 彼は昔からの夢を実現するためにすべてを捨てて旅立った。妻や子と別れ、家庭を捨て、会社を辞め、地位も財産も投げ出した。やはり決心するには相当のためらいもあったらしいが、一生を懸けた夢として決意。死んでも構わない、という覚悟で臨んでいた。旅立つために会社を辞めて離婚。不動産はすべて妻に、現金は旅の資金として自らが貰った。大反対する両親との縁まで切っていたのだ。
 この話をそのまま鵜呑みにするわけではない。が、凄まじい思い入れと覚悟。夢というのは、それに向かって努力するからこそ夢なのである。夢を口で語っているだけでは夢ではない。しょせん、それは絵空事でしかないのだ。神は自ら望む者だけを救うのである。

「そこまでやれば、一種の冒険ですね」
「いや、いまの世の中、旅は冒険でもなんでもないよ。旅というのは人が住んでるところを渡り歩くわけでしょ。エベレストを目指すのなら登山、ジャングルを突き進むのなら探検、そういったものなら冒険って言えなくはないけどさ。旅立つってことがちょっと冒険かもしんないけど。旅はやっぱり旅でしかないよ。強いて言えば、ロマンって感じかな」
「ぼくと似たような考えですね。すべてを捨てて旅立とう、ってぼくも何度か真剣に考えたことがあるんです。いまも考えてますけど。でも、臆病者だからそこまでの決心がつかないんです」
「うーん、臆病なのが賢い生き方だと思うよ。おれはバカだから、こんなことやってるけど。でも、バカになれるってのは素敵なことかもね」

「だけど、臆病なのはやっぱりつまんないですよ。人や社会にも縛られるし。ぼくは賢くもないくせに、バカにもなれないんです。なにかにバカになれるってのに憧れてるんですよ」
「ま、憧れてるだけで、実際にはやらないほうがいいと思うよ。後悔するかもしんないしね」
「後悔して悔やむようだったら、初めっからやんないですから。でも旅に関しては、一応、ぼくも死ぬ覚悟はあるんですよ。でもね、生き残る可能性が圧倒的に多いわけじゃないですか。そうすると、ずっと先のことまで考えちゃうわけで。まっしょせん、その程度の器なんですけど。だけど、人間ってのは生きるのが目的じゃないですから、なにかをやるために生きてるんですから」
「おれは一生、旅を続けるつもりなんだよ。旅の途中で死ねるのが一番幸せなのかも。年とって、体の自由がきかなくなって、旅できなくなって、その先のことなんか考えたくないもんね。考えると、こんなことはやってらんないし。やっぱりバカにならなきゃ」

 普通の家庭を持ち、ちゃんとした会社に勤め、人並みの生活を送る。そうしながらも、「世界を旅するのが一生の夢だ」なんて、戯言を言っているこの私。彼には、逆立ちしても到底及ぶものではない。
 一生の夢だとすれば、やはり一生を懸けなければ叶うはずなどないのだ。その勇気すらない私が、望むべきものではないのかもしれない。

 すべての思いを断ち切って旅立つ。旅の本質は捨てることだと思う。捨てることからはじまり、捨てた分だけ別のなにかを得ることができる。捨てるものが多いほど得るものが多いのかもしれない。同じなにもない人でも、多くのものを自ら捨てた人と初めからそれがない人とでは違う。
 多くのものを捨てることができる人ほど凄い旅人なのかもしれない。これは、良い悪いの論理ではない。旅人としての宿命。旅人が背負わなくてはならない運命なのだから。
 永々とした得て捨てるの繰り返し。最後に捨てきれなくなったとき、そこで旅は終わるのだろう。

  〜 捨てて旅立つ おわり 〜


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