【ビアク島旅行報告】  2007年7月12日(木)から17日(火)の3連休を含めた6日間の日程 にて、インドネシアは西パプア(イリアンジャヤ)のビアク島(ニューギニア島 の北西部に浮かぶ小島)を訪れた。  飛行機を3度も乗り継ぐ長い空路移動であったが、いろいろと充実した旅を過 ごすことができた。  航空券はマイルを使った無料券で、ガルーダインドネシア航空(GA)のビア ク往復をノースウエスト航空(NW)の2万マイルにて発券。フライトルートは、 成田〜デンパサール〜ジャカルタ〜マッカサル〜ビアク〜マッカサル〜ジャカル タ〜成田で、総飛行距離が約1万2千マイル。燃油サーチャージも航空保安料も 取られなかった。無料券の発券に必要だったのは2万マイルと成田空港使用料の 2040円のみで、インドネシアの空港税は現地払い。  夏場の連休絡みなのに、たった2万マイルの無料券でこれだけの距離を乗せて くれたし、燃油サーチャージも取られなかったおかげで、実にリーズナブルに旅 することができた。  今回の旅で使った現地費用は空港税を含めて約6千円(ダイビング代を除く)。 空港税(3回)で約2千円、宿代(3泊:シングル/FAN&トイレ&マンディ &朝食付)が約2千5百円、その他の費用(現地移動費、観光料、食事、飲物) 全てで約千5百円。空港税と宿代がそこそこ高くついたわりに、その他の費用が あまりかからず、全体でも安く済んだと思う。  BIAKは、ビアッ、ビアック、ビアクと日本では呼ばれているため(といっ てもほとんど知られていないかな。知っているのは太平洋戦争に詳しい人くらい で、世界のダイビングに詳しい人でもあまり知らないかも)、実際にはKを発音 しないのかと考えていたが、現地でもビアクとビアックの中間くらいに聞こえた ので、ビアッではなくビアクでいいと思う。  因みに、ビアク島はインドネシアの西パプア(イリアンジャヤ)に属し、パプ アと呼ぶ場合はニューギニア島一帯の地域を指すため、インドネシアのイリアン ジャヤからパプアニューギニアまでを含む。  パプアは大きく山岳系の民族と海洋系の民族とに分かれるが、以前ニューギニ ア島へ訪れたときは山岳系の自然と文化をメインに旅したが、今回は太平洋戦争 関連やダイビングとともに、美しい海や島の人々の営み、海洋系の人たちと触れ 合うことができた。  イリアンジャヤを旅したのは今回で二度目であるが、前回はニューギニア島の 山岳部のワメナを中心にジャヤプラ周辺などを訪れた。ワメナはコテカだけを身 に纏いほとんど裸の姿でホナイと呼ばれる家屋に暮らす黒色に近い肌の部族たち の土着の文化で有名。こちらのほうは海洋系の民族や文化、ビアク島と違って、 多くの旅行者にも知られている。  日本ではビアク島は太平洋戦争の激戦地として知られている。隆起珊瑚から成 る島であるため、わりと平坦な地形で空港建設にも適している(以前はGAがビ アク島経由で米国西海岸便を運行し、日本からもここ経由でバリ便を飛ばす計画 もあった)。そのためか太平洋戦争時には日本軍の南太平洋、ニューギニア戦線 における重要拠点ともなっていた。  また、世界の一部のダイバーの間ではビアク島海域の評価は高いようで、知る 人ぞ知る穴場であり、ダイブクルーズも行われている。以前はここで潜るにはダ イブクルーズで訪れるか、自分たちでコンプレッサーを持ち込むしかなかったそ うだ。  ともかく旅行情報はなにもなく、太平洋戦争とダイビング以外のことは皆無と いってもいい。ダイビング関連の情報にしてもほとんどないに等しいが、戦争関 連のことならば旅行には役立たないかもしれないが調べればそこそこ見つかる。  そんなわけで、久々になんの情報も持たずに旅立ったが、そのぶん身軽に済ん で新鮮味もあって返って良かったかもしれない。  今回の旅での主な体験や体感、触れ合いとしては、太平洋戦争の壮絶な歴史、 素晴らしい海と美しい無人島にダイビング、水上集落とパプア海洋民族の漁師、 といった感じだが、素朴な人々や子供たち、庶民の家々や営み、きれいな海岸、 街歩き、港、魚市場、市場、屋台、露店、アジア杯観戦、など等、いろいろと満 喫することができた。帰りにはジャカルタ(街へ出たのは10年以上ぶり)で半 日観光もできた。  太平洋戦争最大の激戦地とも言われるニューギニア。なかでもビアク島は玉砕 の島として戦史に名を残している。本土から補給を絶たれた日本軍の南海の孤島 での戦闘がいかに激しく過酷で悲惨であったか。約1万3千人の兵士のうち、実 に1万2千人以上もの兵士が戦死したそうだ。ビアク島内には未だに旧日本兵の 遺骨が多量に野ざらしにされており、地表に露出せず埋もれている遺骨ともなれ ばさらに膨大な数らしい。  私の知識は中途半端だし、旅人がこのようなことについて語るのもあまり良し とは思っていないが、ビアク、パラオ、トラック……、ミクロネシア、フィリピ ン、インドネシア……、決して海だけが旅の目的ではないし、ラバウル、ガダル カナルなどもいつかは訪ねてみたい。  以前私がニューギニア島へ訪れたときにも旅の終盤では日本や戦争にまつわる 場所を訪ねた。太平洋戦争の玉砕の地、このビアク島ではまず最初にいくつかの 日本軍と太平洋戦争のゆかりの地へと足を運んだ。  炎天下、空港裏に聳える高い丘を登っていく。抜群の眺望、眼前の空港や遠く の街まで一望できる。その頂き付近に滑走路方面に向けられた砲弾発射台、数々 の大砲の残骸が朽ち果てていた。これらの残骸とこの地形から当時の戦陣を容易 に推し量ることができる。モニュメント、博物館、日本兵の遺品の数々、刻まれ た日本語、兵器、生活品……。JapanCaveと名付けられた巨大な洞穴。 鬱蒼とした木々に覆われたジャングルに大きな口を開けている。鍾乳石に張り巡 らされ複雑に絡み合った巨木の根。密林のなかには小さな洞窟も存在する。頭上 には珍しい鳥たちの姿、周囲には鳥の声がこだましていた。  バードウォッチングでも知られるビアク島の美しく鮮やかな鳥たちの姿や鳴き 声からは戦争の悲惨さを想像することは難しいかもしれない。が、これまで目の 当たりにしてきた戦争にまつわる数々はここで起こった壮絶な歴史を彷彿させる。 それを思えば、ビアク島の鳥たちやジャングルの荘厳さや神聖さもこれら凄惨な 歴史を直接肌に伝えてくれているようにも感じられた。  さて、ビアク島でのダイビングといえば、世界の一部のダイバーの噂どおり最 高だった。2日間で4ボートダイブほど潜ったが、地形的にも珊瑚的にも魚影的 にもとても素晴らしい。どこも手つかずの自然そのままで、ダイビングにて立ち 寄った小さな無人島も言葉に表せないほどの美しさだった。  かなり感動ものだったし、長くもなるので、ダイビング関連のことについては 引き続きべつに詳細を報告したいと思う。  漁師の水上集落もいくつか訪ねてまわった。海中の浅瀬に杭を打ち柱を立てて 板を渡し家を造り、各家々を繋げて一つの集合体となっている。家下や海辺には アウトリガーの中小の舟がたくさん連なり、カヌーや丸木舟もあった。新しい舟 を作ったり、網を繕ったり、捕った魚を仕分ける男性たち。女性は井戸から水を 汲んだり、魚を捌いたり、炊事、洗濯にも勤しむ。手伝いをする子供、遊んだり、 泳いだりする子供たち。私も家へ招かれたり、子供たちと一緒に泳いだりした。 海から上がると井戸の水を浴び潮気を落とす。こんな海辺の傍らに掘られてある のに真水。どの集落にも必ずすぐ側に井戸があり、炊事に使ったり、体を洗った りしている。  みんなシャイだけど気さくでどこでも歓迎された。家に招かれたり、漁に連れ ていってくれたり、捕った魚介類を御馳走してくれたりもした。漁に同行したと いっても大して手伝うこともできず、舟上の物を取ってあげたり、舟を漕いで向 きを変えたりしたくらい。あとは、漁師が潜って網を仕掛けたり、銛で魚を捕る のを、シュノーケリングしながら海中の景色とともに眺めていた。  空港から街へは徒歩でも行ける距離で(3〜4kmくらい)、のんびり歩いて も1時間はかからない。荷物がなくて早足で歩けば30分強といったところか。 私は夜行便の早朝到着だったので、散策がてらにぶらぶら寄り道しながら歩いた。 帰路では乗合ワゴン(約20円)を使った。  街は小さく中心から10分も歩けば庶民の家々が広がり、洗濯や炊事、憩う姿 など、その営みや暮らしぶりを垣間見ることができる。見知らぬ旅人でもすぐに 受け入れてくれ、家へ招かれたりもする。写真も歓迎されてお礼まで言われた。 子供たちは気さくに駆け寄ってくるし、ケンケンやボールで遊ぶ姿や海辺で泳い だり水浴びをする姿もよく目にした。  街の中心や港ではゴミこそけっこう浮いていたが海の水は驚くほど透明だった。 これだけのゴミがあってもよくこれほどの透明度を保っていると不思議にも思え たが、この状態が続けばいつかは汚れてしまうのだろうとやや悲しくも感じられ た。少し街を外れた海岸には文句無しのきれいな海が彼方まで広がっている。  時間が許す限り街中もうろうろ散策して歩いた。港(大型の貨物船や連絡船が 停泊)や漁港(中型の漁船やパトロール船、ツアーで使うような船があった)は 街の端の海辺にあり、行き交う人や船を見ているだけでもなかなか飽きない。  市場や屋台、露店はどこも活気があって面白い。魚市場は街の中心の海辺にあ って、カツオやアジほか、イカ、カラフルな魚まで並べられ、その場で捌かれて いた。大きな市場はターミナルと並んで街の端に位置し、大勢の人々、いろんな 店や露店、バイクタクシー、各方面への乗合ワゴンで一日中ごった返していた。 屋台や露店は街なかにも点在してあったり固まって存在するので、市場でなくと も街をうろつけばそれなりに楽しめる。  街なかでは、外国人観光客は見かけず、旅行社や土産屋もほとんどなく、いく つかのスーパーと庶民の店や食堂、屋台や露店ばかりだが、銀行のATMはたく さんあって24時間キャッシングに困ることはない。宿もそれなりにあるがどこ もけっこう高目だった。  街には小さな土産屋も一軒だけあったが、置いてある土産はほとんどがイリア ンジャヤでもニューギニア島山岳部のワメナのものばかり(私は行ったことがあ るので懐かしくは思えたが違和感も覚えた)。絵ハガキも若干あったが、やはり ビアク島や海のものは全くなかった。  アジア杯のサッカー応援もできた。なんとか旅行中の日本戦2試合ともに観戦。 インドネシアもアジア杯共催国なので国をあげて盛り上げていた。街なかのポス ターをはじめ、サッカー中継だけではなく、連日ニュースの特番までやっていた。 けっこうセットやキャスターも凄かったし、日韓共催W杯のときの日本の各局が W杯のニュース枠を持って盛り上がっていたのにも似ているかも。  部屋にはTVがなかったため宿のロビーにてみんなで観戦。ずっとサッカーの チャンネルだった。南米選手権の決勝ブラジル対アルゼンチンまで観ることがで きた。  素晴らしい旅が叶ったビアク島だが、先般NWがGAの格付けが下がったため 保安上の理由からGAとの提携を中断したせいで、今後しばらくはインドネシア の島々を巡って、美しい海とともに、島々や土地土地で異なる様々な文化と触れ 合うことができなくなってしまった。  NWの話だと、提携中断とは言いつつもGAの格付けが戻っても提携再開はな いだろうとの見解だったが、ぜひとも提携を再開してほしいものだ。でないと、 インドネシアのマイナーで遠い島々へは有料だと高くついてとても行けない。し かもそのほとんどの土地は夏場の航空券が高い時期がシーズンである。  島の旅はしばらくフィリピンの未踏の島々を中心に考えているが、近いうちに またインドネシアの辺鄙な島々の旅も再開できることを願ってやまない。                         ビアク島旅行報告 おわり 《追記》  一度訪ねてみたいと思っている日本で有名なラバウル(パプアニューギニア) はニューギニア島の北東部に位置する。ラバウル要塞とも呼ばれて9万人以上の 日本軍が配置され、食料は自給で豊富だったらしい。日本軍の大規模で想像を絶 する抵抗が予測されたため、連合軍はラバウルを占領せず包囲するに留め、終戦 まで日本軍により保持された。ニューギニア島の北西部に位置する玉砕の島ビア ク(インドネシア/西パプア)とは、同様な日本軍の重要拠点でありながら、そ の結末はかなり異にした。因みに、ガダルカナル(ソロモン)でも悲惨な戦いが 繰り広げられた。 【ビアク島ダイビング報告】  ビアク島のダイビングは、内容的には大変素晴らしいものであったが、料金は かなり高めで、私の場合は潜るまでにそこそこ苦労もした。  早朝ビアク島へ到着。宿を探して落ち着いた直後、すぐに街でショップを探し たが見つからず、街中でいろいろと適当に聞きまわった。運良く知っている人が ダイブショップの人に連絡を入れてくれて、10分くらいで私のところへ車で説 明にやってきた。  料金は潜るポイント(海域までの距離や時間)によって異なるが、日帰りポイ ントの2ボートダイブならば約70〜100ドル(昼食込み)、2ビーチダイブ だと50ドルで、一人の場合には他に潜る人がいなければ二人分の料金が必要。 レンタル器材はフルで約25ドルだった(支払いはルピア)。  滅多にフリーのダイバーなどは訪れないらしく、シュノーケリングや無人島巡 りのツアーもやっているそうだ。  噂どおり穴場で凄く良い海なのだが、あまりダイバーが訪れないのに(たまに 来るとしてもダイビングにかけているような人たちで器材持参にて予め手配して 来る。私のように器材も持たずふらっといきなり一人で潜る人は滅多に来ない)、 心配されたレンタル器材のほうは高いなりにきちんとあった。  しかし、前述のとおりダイバーが本当に少ないようで、やはり一緒に潜る人は いなかった。一人だと二人分の料金がかかるので迷いに迷ったすえ(一人で潜る ならばレンタル器材代は免除すると言われた)、まだ初日の朝だったこともあり、 あとから考え直してもチャンスはあるため、「もし他のダイバーが現れたらホテ ルまで知らせて」と、とりあえず連絡先を聞いてすぐに観光へと出かけた。  その夜、ショップの人がホテルまで訪ねてきて、幸運にも潜る人(欧米人の二 人組)が現れたとのこと。まずこんなことはありえず、本当にラッキーらしい。 一人分の料金ならばレンタル器材代は必要だと言われたが、なんとか粘って交渉 を重ねた結果、2日以上潜ることで免除してもらえることができた。  元々私はビアク島で潜りたいポイントが2ケ所あったが、料金が破格のため、 諦めようか、無理して1日だけでも潜ろうか、と思いを巡らせていたが、強運と 交渉力により、決して安くはないが、それなりに押さえた費用で2日間潜れるこ ととなった。 《ダイビング1日目》:ビアクの街からの2ボートダイブ。約75ドル。 1.カタリナ・ポイント  深度30m(下部30m、上部25m)の砂地に太平洋戦争時のカタリナ飛行 艇が原型を留めて沈んでいた。50mはあろうかという大きな飛行艇で、透明度 も高く実に壮観。操縦席に入ることも可能で、小型戦闘機とはスケールや迫力が 全く異なった。 2.マリーナ・ポイント  Owi島の東側北部に位置するポイント。大物こそ見当たらなかったが、珊瑚 の素晴らしさが突出していた。どこも微塵も荒らされてなく、まるで一度も人目 に触れたことすらないような美しい珊瑚が一面に広がっていた。珊瑚の博覧会と 呼べるほどの見事な珊瑚の数々で、これまで潜ったなかでも最高レベルと言える かもしれない。 《ダイビング2日目》:車で移動してそこからの2ボートダイブ。約80ドル。 3.バラクーダ・ポイント  水深30m前後に、軽く1mは超える(2mクラス)の巨大なイソマグロたち。 数種類の大きなサメ(2〜3m)もいっぱい。バラクーダは見当たらないと思っ ていたら、ようやく終盤にバラクーダ・ポイントへと到達したのか、けっこうな バラクーダの群れに遭遇できた。それでも前半の大物たちのほうが遥かに印象深 かった。 4.ケーブ・ポイント  浅い水深(2〜3m)のリーフに穴(4〜5m程度)が開いており、そこから 洞窟内へとエントリー。一気に水深を下げ(20m弱くらい)、その後は灘らか な下り。上部から光が差し込み幻想的。洞窟内をあれこれ探索。25m強のとこ ろに洞窟の出口があったが、その付近は深く大きく切れ込んでいた。まったく底 は確認できず、水深40mくらいまで探索したが底無しといった感じで、その後 ゆっくりと浮上。ケーブを出てからの透明度は抜群だった。  ダイビングとポイントの状況は、以上のような感じだった。  1と4のポイントはビアク島で有名なポイントであり、この近辺の海域のハイ ライトとも言えるようだ。しかし、2と3のポイントもとても素晴らしく大満足 だった。このレベルのポイントならば、どんなダイバーでも4つとも満足できる ものと思う。  ただ、いくら素晴らしいダイビング海域と言えども、やはりマイナーな土地に 器材も持たず単独で行くのはリスクが高いかもしれない。今回、滅多に現れない はずのフリーのダイバーが偶然にも同じ日に潜って(彼らは二人だから翌日も潜 った)超ラッキーだったと言える。(たとえ二人以上いてもダイバーが少ない土 地だと料金はかなり高い。東南アジア相場ではなくミクロネシア相場くらい)  それから忘れてならないのが、昼食休憩のときに上陸した小さな無人島(2日 目はマンシュール島と呼ばれていた)。すーっと延びた美しい砂州、ややピンク がかったきめ細やかな砂粒がきれい。まったく手つかずの自然。辺りにはコバル トの海と小さな島陰が見渡せるのみ。筆舌に尽くしがたい海や島々。私たちのほ かに誰も存在しないのはもちろん、遥か水平線まで舟陰すら目にしなかった。                      ビアク島ダイビング報告 おわり